河野談話見直しに断固反対します(4月4日)

           「女性・戦争・人権」学会 2014年4月4日  

2月28日に菅官房長官は、いわゆる「河野談話」について「政府の中で、全く秘密の中で検討チームを作り、もう一度掌握し、この問題ついてどうするか、しっかりと検討してきたい」と述べ、政府内の検証チームを設置すると衆議院予算委員会で発言しました。

 

その後、国内外、とりわけ合衆国からの強い批判を浴びて安倍首相は、3月14日になると、「見直すことは考えていない」と態度を変えましたが、官房長官によれば、韓国との間で談話の文言調整があったかどうかを検証はするとのことです。  発足当時から「慰安婦」問題を中心に活動を続けてきた「女性・戦争・人権」学会は、「見直し」発言をはじめ、安倍内閣の「慰安婦」問題に対する一連の政治姿勢に対して、強く反対します。

そもそも、河野談話とはどのような談話だったのでしょうか。抜粋します。

 

「今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を 受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに 加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。[…]

 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する」(1993年8月4日、強調は引用者)。

 

 河野談話は、1991年8月14日に韓国の金学順さんが初めて「慰安婦」であったことを世界に向けて公言し、同年12月に日本政府を相手に補償を求める裁判を始めたことに端を発します。ただ、この段階では日本政府は「慰安所」に対する日本軍の関与はみとめていませんでした。

 しかし、吉見義明中央大学教授が防衛庁防衛図書館において「慰安所」設置について日本軍の関与を示す公文書を発見したことによって、92年1月に政府は関与を認め、宮沢喜一首相(当時)が韓国に対して謝罪を行いました。

 その後、日本政府は資料調査を2回行い、92年7月6日、93年8月4日にそれぞれ調査結果を報告しました。河野談話は、第二次調査結果として発表されたものです(調査結果については、デジタル記念館、慰安婦問題と東アジア女性基金のHPからいつでも、どなたでも読むことができます。 http://www.awf.or.jp/6/document.html)。

 この調査は、2年間に限定されたものでしたが、全5巻にまとめられ、その頁数は総数2000頁を超える日本軍関連資料からなり、当時の防衛庁や厚生省、外務省などの資料を調査した結果です。  河野談話から20年以上が経過し、その間にも多くの資料や聞き取り調査が研究者・活動家の努力によって進められてきました。

 93年当時にはまだ解明されていなかった様々な事実も既に明らかになっています(その後の研究調査結果や聞き取り調査については、Fight for Justice 日本軍慰安婦――忘却への抵抗・未来の責任 http://fightforjustice.info/ で読むことができます)。

 日本政府が今為すべきことは、河野談話を見直したり、当時の政治状況を背景とした文言調整があったかなかったかを検証したりすることではなく、河野談話が世界に向かって約束したように、「歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ」ようとすることです。そのことこそが、いまだ解決をみない日本軍「慰安婦」問題に対する日本政府の真摯な対応です。 わたしたち「女性・戦争・人権」学会は、今回の安倍内閣の河野談話をめぐる動きに断固反対し、以下のことを求めます。  

 

・再度、河野談話が世界に向けて約束したように、歴史教育の重要性を認識し、歴史教育に慰安婦問題を含め、戦前日本の植民地主義に対する事実について日本国として反省し、市民に向かってそうした姿勢を示すこと。

 

・国連の人権関連委員から、長年にわたって何度も勧告されているように、日本政府として迅速に立法的、あるいは行政的措置によって被害者の主張に沿った解決策を模索すること。

 

・政治家をはじめ、公的な場での発言においてなされる、被害者の方を侮辱するような発言、事実を歪曲する発言については、厳しい態度でもって日本政府として批判すること。  

 

・日本軍「慰安所」制度の違法性を、官憲による「強制連行」の事実の有無へと矮小化することを止めて、日本軍が運営・管理・関係していた「慰安所」制度そのものが、性奴隷制度に他ならないことを認めること。  

 

・1991年以降、長きに渡り被害者女性に対して繰り返されてきた政治家たちの発言について、また河野談話以降、政府として法的責任はないとして、積極的な措置をとらずにいたその無為に対して、真摯な謝罪をすること。

 

 今年2月に入り、「河野談話」の見直しのきっかけを作った山田宏衆議院議員(日本維新の会)の国会での質問以降、「河野談話」はあたかも元「慰安婦」にされた女性たちの聞き取り調査のみで、なんらの調査を行っていないかのような印象が作られてきました。たとえば、「河野長官が就任後も、強制的な募集を裏付ける客観的データはなかった。韓国側から「彼女たちの話を聞いてもらいたい」と言われ、政府内で協議の結果、「日韓両国の将来のために話を聞くことが事態の打開になれば」として、元慰安婦16人から聞き取り調査をしたという」という報道からは(『朝日新聞 デジタル版』2月21日)、元「慰安婦」の女性たちの話を聞いただけで「談話」が生まれたかのような印象を与える報道がなされています。しかも、相変わらず、官憲が行う人さらいのような強制連行の証拠となるような公文書資料に固執する紙面となっており、河野談話がどのような調査に基づいて行われたのかについて、わたしたちを惑わす効果をメディアが担っていることも確かです。  「河野談話」見直しを撤回した現在でも、わたしたちは、安倍内閣が河野談話の「精神」を継承することを約束したとみなすことはできません。たとえば、安倍首相は、2012年の総選挙中に、「河野談話」は閣議決定されておらず、むしろ「(談話と)同日の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」とする第一次安倍内閣の閣議決定のほうが正式見解であるかのような発言を繰り返し行っています。 第二次安倍内閣誕生後、安倍首相は「河野談話」だけでなく、閣議決定されているはずの「村山談話」についても「安倍内閣として、村山談話をそのまま継承しているわけではない」と述べ(2013年4月22日国会参院予算委員会)、さらには、「侵略の定義」も学界的にも国際的にも決まっておらず、国と国との間の見方によって、その定義も違うと述べてきました(同23日)。

 安倍晋三は、政治家となった1993年以降、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の事務局長として、歴史教育に深く政治的に関与し、とりわけ「慰安婦」問題に関する記述を歴史教科書から一掃すべく様々な形で政治的圧力をかけてきました。また、2000年12月に開催された民衆法廷「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」をめぐっては、故中川昭一衆議院議員らとともに、NHK・ETV番組「裁かれた戦時性暴力」(2001年1月30日)に対して政治圧力をかけ、最終編集の段階で法廷の意義を歪曲する変更を強いました。

 以上のことからも、安倍晋三首相は、過去の過ちを教訓に未来への責任を果たそうとしなければならないはずの、政治家としての資質に欠けています。 日本政府は、国際社会の常識からみれば、日本政府に対する不信感を募らすような安倍首相の態度・発言を戒め、国際社会の一員として、21世紀に相応しい国際人権意識を国家レヴェルで育もうとすることを誓っていくべきです。

学会アピール、河野談話見直しに断固抗議します
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